今日は、2014年9月9日に配布されたベーブ・ルース選手(元ヤンキース等)のブルックリン・ドジャース時代のバブルヘッドを紹介したいと思います。
簡単にベーブ・ルースの略歴を紹介します。
御存じの方は少ないかもしれませんが、ベーブ・ルース選手はキャリアはワシントン・セネターズの傘下であるボルティモア・オリオールズからスタートします。
その後、トレードでボストン・レッドソックスに移籍しますが、その際もフィラデルフィア・アスレチックスやシンシナティ・レッズも交渉していたそうです。
移籍先のレッドソックスでは、主に投手として活躍が目立ち、6年間で89勝を挙げました。
また、打者としての才能も発揮し1918年、1919年では2年連続の本塁打王に輝いています。
1919年のオフ、年俸が高騰するルース選手を放出しようとレッドソックスはトレードをシカゴ・ホワイトソックスとニューヨーク・ヤンキースに持ち掛けました。
争奪戦の末、ニューヨーク・ヤンキースへトレードで移籍します。
その後は、御存じの通り、ヤンキース時代にMVP1回、首位打者1回、本塁打王10回、打点王5回を獲得し、第一期黄金時代のヤンキースの中軸として、チームを支えました。
キャリアの晩年の1935年開幕前、ヤンキースはチーム傘下のマイナーリーグの監督になるよう申し出をします。(事実上の引退宣言)
選手としてまだプレーをしたかったルース選手でしたが、ヤンキースから提示された年俸は1ドル。
これを機にヤンキースからボストン・ブレーブスに移籍し同年限りで引退しました。
そして、今日紹介するのは、2014年9月9日、ドジャースタジアムで配布されたベーブ・ルース選手のドジャース時代のバブルヘッドです。
引退後のルース選手は、1938年の1年限り、ブルックリン・ドジャースの一塁コーチとして働きました、。
元来、メジャーリーグでの監督をしたいという夢があったルース選手は、その一歩としてコーチの要請を渋々、引き受けたそうです。(本人は、あくまでも監督がしたかったようです。)
正面です。
顔アップです。
後ろです。
箱の裏面です。
箱の側面です。ドジャース時代の経歴しか載ってません。
なかなかの再現度だと思いますが、このバブルヘッドの特徴的な点は、1年しか在籍しなかったコーチのバブルヘッドであるところです。
このバブルヘッドを見て、アメリカの野球ファンは首をかしげました。
なぜ、選手時代に所属していたヤンキースやレッドソックスではなく、コーチで1年限りしか在籍しなかったドジャースがバブルヘッドを配布するのか。
あるファンは、マイアミ・マーリンズがマイク・ピアッツアのバブルヘッドを配布するようなものと発言しました。(ピアッツアはフロリダ・マーリンズ時代の1998年5試合出場)
それくらい、このバブルヘッドは、なぜ配布するのか疑問に思ったのでしょう。
しかし、このルース選手のドジャース時代のバブルヘッドこそ、MLBの戦略的なプロモーション活動と伝統を重んじる姿勢の表れだと私は考えます。
近年、MLBは多くの手法でプロモーションを行い、世界最大級の市場を誇るスポーツへと発展してきました。
例え、どんな小さなことでもプロモーションしてきました。
従って、ルース選手のドジャース時代のバブルヘッドの配布の如何で物議を醸すこと事態がプロモーションになるのです。
実際、このバブルヘッドの配布は多くの現地ニュースで取り上げられていました。
また、ドジャースにおいては1年のみの在籍でしたが、ルース選手の在籍記録は存在しており、その足跡をバブルヘッドとして残すことも、ルース選手への敬意の表れと考えます。
ちなみに、このバブルヘッドはMLB.comが運営するCut4において、その革新的なスタイルと話題性から2014年ベスト・バブルヘッドTOP10の第6位にランクされました。
サイトには、
Not many know that Babe Ruth ended his career as a first-base coach for the Brooklyn Dodgers, making a bobblehead honoring the fact an incredibly cool collectible:
http://m.mlb.com/cutfour/2015/01/07/105756350/counting-down-10-of-baseballs-greatest-bobbleheads-for-national-bobblehead-day
というコメントでその素晴らしさが表現しています。
ルース選手は、ドジャースでコーチを務めた後、その後野球界に復帰することはありませんでした。
ルース選手の最後のユニフォーム姿のバブルヘッド、興味があったら是非チェックしてみてください。